ごちゃまるクリニック

ごちゃまぜまるごとの支え合いで、あなたらしく日々を過ごすことを応援する

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1月28日 友行先生

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【1/28(日)備忘録】1週間分の長文ですが、現場のリアルが詰め込まれています

鳥の目、そして魚の目 〜転換期の発災1ヶ月〜

・医療において、急性期支援の転換期を迎えようとしています

・外部支援医療と地元医療のベストミックスを日々模索

・二次避難推奨という「逆風」の中、避難所で必要とされる「介護ニーズ」が置いてけぼり

・刻一刻、毎日目まぐるしく変化する情勢を俯瞰する鳥の目、そして流れを見据える魚の目が求められます

・とにかく、ここ1週間は心底疲れました…この疲弊はしばらく続きそうです

DMATを中心とする急性期災害医療が変換期を迎えようとしています。これまで応急処置として行われていたDMATを代表する外部支援医療班の医療は災害救助法の元、あくまでも可及的医療となっています。例えば、取り急ぎいつものお薬がない、熱が出て困っている、その一方で地域の診療所・病院は診療再開できていない。なので取り急ぎのお薬と診療を行う(災害処方箋など)、というのが発災2〜3週間までの光景でした。

しかし、これをいつまでも続ける訳にはいきません。外部支援は永続的ではないのです。そこで当院をはじめとする地元診療所も徐々に通常診療を回復してきています。ここで初めて、ただお薬を処方する、ということではなく、ちゃんとかかりつけ診療所・病院で診察を受け、長い目で健康管理を再開する、ということになるのです。

しかし、実際は各診療所で問題となっていることは多々あり、震災前と同じ規模に診療再開というところには至っていないことが多いです。一番深刻なのは、看護師・事務などの人手不足(避難した、など)です。次に経営上の問題です。二次避難などで激減したかかりつけ患者さんを相手にどこまで医業経営を回復することができるのか、雇用を維持することができるのか、という問題です。

本来であれば外部支援から私たち地元医療に引き継ぎが望ましい、でもまだまだ外部支援が必要な点は多々ある… お互いに悩ましい状況でベストミックスを模索しています。

一つ問題となっているのは、避難所の診療です。避難所から徒歩圏内に診療所がある場合、外来診察が可能です。そうでなければ車での移動が必要です。では車で移動できないような寝たきりの病気がある人は?一応、避難所でも病気の内容次第で訪問診療・訪問看護を受けることができます。現在特定の条件を満たす場合、医療・介護保険サービスの自己負担は免除されます。

では、寝たきり、というほどではない、かといって車での移動ができない、そんな避難所(自宅もそうですが)の方の診療は… これまでは外部支援医療班の巡回診療や救護所設置(例えば輪島中学校、ふれあい健康センター、など)でうまくいっていた避難所もありますが、今後徐々に閉鎖の方向になっていきます。

結局平時より問題となっていた移動の問題となってしまうのです。現在奥能登で利用できるタクシー(平時より夜間はタクシー利用できない地域です)、バスはいかほどでしょうか?あるいはボランティアによる移動サービスでしょうか?結局軽症とはわかりつつ救急車を呼ぶのか?

ここで解決策として検討したいのがオンライン診療です。現在当院でもNTTドコモ・医師会・厚生労働省などが協働でスタートさせたオンライン診療が利用できるようになっています。やってみたのですが結構簡単にできます。

とはいえ、ですよ。お察しの通り、オンライン診療ができるなんてよっぽどリテラシーのある人です。結局なんらかのお手伝いが必要な人がほとんどです。

避難所で、自宅で、家族もおらず、移動もままならない(車を失ったなど)、訪問診療も制度上適応にならない病気の方、そういう方が困ってしまうのです。

ここまで医療のお話をしました。しかしもっと深刻なのは介護の問題です。ここまで保健医療福祉調整本部内では、残念ながらあまり福祉(介護)の検討が進んでいませんでした。介護でも外部支援は存在します。代表的なのはDWAT(災害派遣福祉チーム)、そして現在DC-CATという新たな支援チームが立ち上がっています。その他、介護ではないですが、災害支援看護師、そしてJRAT(災害リハビリテーション支援チーム)なども非常に重要な外部支援です。

どんどん入ったらええやん!ということになるのですが、それがそうもうまくいかない理由は二つあります。一つは、そんな外部支援チームの宿泊場所が特に輪島において不足している、もう一つは二次避難推奨の中で矛盾する方針(介護必要な人は二次避難するべき、なので介護外部支援は矛盾する方針)として、特に行政側の判断が難しい、ということです(間違っていたら行政の皆さん、すみません)。そしてここでも、外部支援と地元介護事業所とのベストミックスの問題が生じます。どんどん外部支援が入れば、結局地元の雇用ニーズを奪ってしまいます。そうすると、半年後に始まるであろう二次避難者が戻ってきた後のサービス提供者がいない、ということになってしまいます。

では地元介護事業所と外部支援チームが話し合う機会があるか、それが今のところ私の見渡す限りでは乏しい(おそらく、ない)のです。介護福祉に関して、そういう協議体やファシリテーター(災害用語ではリエゾン (橋渡し)と言います)が機能不全になっています。

実は私、富山大学時代に災害救命センターで働き、熊本地震の際に保健行政の支援として活動した経験がある、という稀有な被災診療所院長です。なので、災害用語がわかる、外部支援チームと対話ができる、かつ地元の雰囲気が分かる、という立場の重要性とその難しさがよく分かります。そんな人がそれぞれのジャンル(在宅、看護、介護、保健など)で存在するでしょうか?

外部支援、地元職能団体、行政、そして住民、みんなでこれからの地域医療・介護・ケアを考えることが必要です。これはどの業界においても同様でしょう。その時に必要な姿勢は「地元ファースト」「謙虚さ」「諦めない対話力」「被災下においても互いに学びあい変化する寛容性」というのが私の見解です。

そして、魚の目、です。残念ながら外部支援の全てが上記のような姿勢を持っているとは限りません。お相手はそのつもりでいても案外気付いていない、できていない、ということもあります。また、私たち被災者側も失いがちな姿勢です。支援も受援も、実は結構専門的な知識が求められるのです。そんな玉石混交・有象無象の中、時に激流となり、時に泥のように停滞し、はたまた乱流の中溺れそうになる… 魚の目が必要なのでしょう、というのが私の震災支援先輩のお言葉でした。

写真は子供とよく遊びに来ていたマリンタウンと海の写真、そして初めて利用した自衛隊風呂から出てきた時に光り輝いていた月の写真です。

サイロ、雲、たそがれの画像のようです
雲の画像のようです
ジープ、雲の画像のようです