【1/15(月)サマリ】
・夫婦そろってインフルエンザに罹患しました。
・避難所訪問診療など模索するものの、二次避難という大きなミッションの中、虚しさがぬぐいきれません。
詩先生は妊婦・乳幼児避難所の巡回資料の傍ら、熱を出した子供たちの診療を行っていました。インフル、コロナ、胃腸炎、中には水痘の子供も混じっていました。診療所に駆け込んでくる有熱患者さんもいる中、どうしても十分な感染防御が出来かねる状況もあります。
今は休み戻りつつ、隔離部屋からスタッフと連絡しながら診療を行っています。
当初は移動の手筈が整わなかった避難所の皆さんも、徐々に二次避難へと向かいます。私の両親も旅立ちました。親父の電話に不覚にも涙が出そうになりました。
避難所には私が訪問診療を行っていた方もいます。そんな方は通常移動手段による二次避難は困難です。DMAT本部、ご本人、ご家族と話し合い、移動手段を模索して転院調整をはかる。これはいつも通りの業務、異なるのは、いかに予測不能な事態が生じるのか、これまでに経験した失敗を糧に、より正確に、確実に、安全に移動できるように最新の注意を払う。
幸い元気になった94歳スナックのママ、入院治療がうまくいき本日避難所に無事退院、な訳がない。虚弱して自力で動くこともままならない状況の中、家族に二次避難の連絡が入る。
やっと家族と再開できたママ、「私しゃいやだよ。もう死んでもいいわいね。家族に迷惑かけとないわいね。もう十分生きた。」真っ直ぐにこちらをみて仰る。そばにはずっとママの担当をしていた訪問看護師、そっと寄り添い、その思いを汲み取る。私には何も言葉が出ない。明日、自衛隊車両で二次避難へ。
虚しい、辛い、はがやしい、私はいち医療職というだけでなく、愛するごちゃまるチームを守る立場でもある。一度だけこの場でぼやかせて欲しい。私の価値観は、奥能登を愛し続けること、のはず、だ。でも、愛し続ける自信が、もろもろと崩れようとしてしまう…
発災2週間。雪に覆われる被災地にて。