ごちゃまるクリニック

ごちゃまぜまるごとの支え合いで、あなたらしく日々を過ごすことを応援する

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1月11日 友行先生

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【1/11(木)サマリ】

わかっちゃいるけど… やりきれない想いが重くたれ込みます。愛すべき患者さんたちのお話をさせて頂きます。

・先日、病院に救急搬送された在宅患者さんが息を引き取った、というご報告を頂きました。

「あばら屋だけど、家がいいです」急性白血病と診断されたばあちゃんの意向を叶えるべく、急遽年末に自宅退院された方でした。

「先生もう十分生きた。覚悟できとります。本当は施設入ろうと思っとったんです。でも息子が戻ってきた。だから家におれるんです。感謝しとります。高校卒業してからずっと離れとった。だから他人同然です笑。冗談やけど。」在宅のとある日に、私に、そしてその横でそっと耳を傾ける息子にそう呟いた方。本来であれば、あばら屋で最期まで息子さんと一緒に過ごすはずであった方。

発災後一時は自宅で過ごしたが、家屋が倒壊直前とのことで避難所に移動。そこは孤立避難所。当たり前だが徐々に容態が悪くなり、ヘリ要請で入院へ。

孤立避難所にいた影響で最後の時に間に合わなかった息子さんより「年末にはなくなるかともったけど結構長く生きた。最期は辛そうでなかったとのことが幸いです」

孤立避難所でお看取りすることはできないのは当然。ヘリ搬送も当然である。わかっている、わかっているが、やるせない…

・避難所の往診対応にて

94歳、元スナックのママ、デイサービス帰宅後にいっぱいひっかけるのが楽しみ。発災後は避難所生活。元より食が細い方。徐々に体力が奪われ、一昨日前に悪寒を伴う熱で往診依頼あり。既に救護所で抗生剤内服あり。様子をみるべきか、あるいは…

「わたしゃいやだよ。入院は。」以前からそうおっしゃっていた。そうだろう。入院したら酒飲めないものね。ご家族と相談し、一旦経過をみることに。さもありなん。現在の輪島病院の状況だと救急搬送後、故郷を離れて市外の病院へ行く可能性が高い。

本日やっとやっとトイレに行った後に動けなくなり再度往診依頼。食事はほとんどとれていない。付き添いの娘さんの介護も限界。やむなく救急車要請へ。

「ひょっとしてうちのばあちゃんですか?」救急搬送のことを避難所職員に伝えたところ、その方のお孫さんだった。発災直後の本当に辛い辛い時期を共に乗り換えてきた同志。そうか、あなたはお孫さんだったんですね。

私も同乗して病院へ。対応は外部支援のDMATのDr. 病歴と共に、元スナックママの代理意思を間接的に、オブラートに説明。輪島病院に入院。今後どうなるかわからない。「救命できない」と判断され、別の病院へ搬送されるか、あるいは… バトンを託した私には知る由もない。できれば在宅でやれることは精一杯やって、ママらしく過ごしてもらう予定であった方。

・89歳、元和菓子職人。訪問するといつも笑顔がかわいいじいちゃん。ごちゃまるスタート直後から在宅始めた方。当時お尻にⅣ度の深い褥瘡があり「こんなん直せるのか!?」と悩んだ方。娘さんは自宅で一緒に過ごしたい。懸命な家族介護、訪問看護で、1年かけてやっと褥瘡を直した方。娘さんと色んな栄養療法を工夫し、介護し、みんなで治した。「褥瘡治療って、最期は愛が勝つのかな!?」とみんなで笑っていた。

そんなじいちゃんも震災で避難生活。ハイリスク、本来ならしっかりと対応したかった。初動が遅れ、対応が後手になったことは否めない。ある日、呼吸状態が悪くなったと救急搬送。その後市外の病院へ。奇跡的に元輪島病院勤務の旧知の先生が主治医となり、直接入院後経過の報告を頂いた。誤嚥性肺炎、多発褥瘡により状況は深刻、とのこと。あれだけ頑張って治したのに、あれだけ頑張って在宅生活を続けたのに…

入院主治医は遠くにありて輪島を、奥能登を本当に愛してくれる方。一生懸命治療をしてくださった。その後の状況も伝えてくれる。何とか救命はできた。だが、これからのことは… 本来なら、どんな形でも自宅退院を望んだであろう、どんな形でも自宅退院を支えたであろう。だが、今はできない。でも、乗り越えてくれて本当によかった、とも思う。

・二次避難が進んでいる。繰り返すが、上下水道の復旧もままならず、厳しい冬に突入するこれからの奥能登で、避難所や自宅で過ごすことは要介護者にとって危険ともいえる行為。理屈としてはその通り、災害救命の理論、人道的には全く正しい。なので私も医師としてそれを薦めたい。

でも、人それぞれに離れ難い気持ちもある。最期まで故郷で。それは最期まで自宅で、と同様の思いである。ならば、あえて過酷とも言える故郷の環境で過ごすこともまた道理。人としてはそれを薦めたい。

エビデンスとナラティブ、倫理的問いは震災下でも続く、そうあって欲しい。正論ばかりではやるせない。そう、いつも通りなのである。しかし、未曾有の震災下では私はどうしても後者を避けがちである。住めば都、転院もまた一期一会。実際に、信じられないような偶然で、本当に久しぶりの皆さん(同志とも言える)にバトンを託すことも発生している。そんなことがどんどん起こっていくのであろう。信頼して、今は同志に託したい。

それでも、敢えて地元に残るという方がいるのであれば、そして地元にいる他に選択がない方もいる。私たちは最期までそこにお付き合いをしていこう。それは本当に辛い選択かもしれない。とても私達だけではできないことだろう。今は信頼のある同志の到着を待とう。

霧、山、草の画像のようです
海鳥の画像のようです
2人、海の画像のようです
海の画像のようです
たそがれ、道路、通り、テキストの画像のようです