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1月22日 友行先生

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【私にとっての復興とは】

1/1に輪島市内で起こった大火は「朝市通り」として報道されることが多いです。しかしそこは「本町通り」「本町商店街」という名でも地元では知られています。今回あまり報道では取り上げられることの少ない「本町通り」としての思い出を語ります。

本町は1丁目、2丁目、3丁目、そしてそれと並行して海岸沿いに浜通りがありました。今回の大火では浜通り、本町1丁目・2丁目と3丁目の半分が失われ、残ったお店もほとんどが全壊もしくは半壊となっています。

私は本町3丁目の小浦洋服店で生まれ育ちました。夏には「輪島大祭」、商店街のお祭り「ワイワイ天国」などで賑わっていました。私が故郷で医師になりたい、と思ったのはこのまちが大好きで、ご近所のみなさんに恩返しをしたいと思ったからです。この町のために医師になったのです。

輪島大祭では「キリコ」という巨大灯籠を町内ごとに担ぎ出し、町の絆のシンボルとなっていました。しかし高齢化の影響で、次第に町内のキリコ運営の力が弱まり、私が富山から輪島に戻ってきた2017年、本町ではもう10年以上キリコを出していませんでした。

転機となったのは2019年、「だって令和だし」をキャッチコピーに、本町キリコが復活しました。これまで1・2・3丁目、浜通り、それぞれで運営していた夏祭りでしたが、みんなで力を併せて一基のキリコとこどもキリコを担ぎ出しました。老若男女総勢100名以上、信じられないような町の絆の再生でした。

しかしその後時代はコロナ禍へ… 輪島大祭は中止を余儀なくされてしまいました。

2023年、念願の輪島大祭の復活。4年ぶりの本格的キリコ祭り。祭り太鼓や笛の担い手は、2019年当時に太鼓を習い始めた私の長男世代の小学六年生達。連綿と続くまちの伝統が、新世代につながった瞬間でした。皆歓喜して祭りを楽しみました。

2024年、そんな思い出のまちが大火に見舞われたのです。私が担当した思い出のこどもキリコも、瓦礫の下でどうなっていることかわかりません。本町はあまりにもたくさんのものを、人を、思い出を失ってしまいました。掃除のため自宅に赴く必要があるのですが、変わり果てた故郷「本町」を見るたびに、胸が張り裂けそうになるのです。

私にとって、地域医療の復興だけが目的ではありません。輪島大祭において再びみんなでキリコをかつげる日が来ること。その両方があって初めて、真の復興といえるのです。

私は決して諦めません。

3人、テキストの画像のようです
16人、テキストの画像のようです
ウィンドチャイム、伏見稲荷大社、テキストの画像のようです
7人、ウィンドチャイム、伏見稲荷大社、群衆、東京タワー、テキストの画像のようです
5人、テキストの画像のようです

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